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 ▼ 小津安二郎『晩春』 (1949 日)


 小津とか黒澤というのはええ加減語り尽されてるんだよねぇ。なんでそんなに語ることがあるんだろうってくらい。この『晩春』にしたってそうで、例えば有名な話で「壺のシーン」の論争?があるらしい(ここ参照)。 この話を前に読んでいて、へぇーそうなんだ、と妙に納得して、今度見るときには注意しとこと思ってたんだよ。が、きょう見ててきっちり忘れてた(^_^ゞ どんな壺? ビデオだから見直せばいいんだけど、もう巻き戻したからめんどくせ。終盤で笠智衆と原節子が京都旅行で泊った旅館にその壺はあるらしい。上の写真の左奥の壺のことかな。これ、読んだ人は注意して見るように(笑)
 いま現在の映画、映画に限らないが、の刺激過多に慣らされていると、小津の映画なんてなんもおもろくないよね、退屈。高校生なんかに見せてごらん。きっとみんな寝るよ。この『晩春』にしたって、単に娘の結婚というより嫁入りの父娘の感情の流れを表しただけで、これといったどんでん返しもなければ、それこそ落ちさえない。それが小津の小津たるところだと言ってしまえばそれまで。誰も、あれこれ語るのなんて奇異に感じるだろ。その壺にしたって同じこと。ごく普通の観客というのは、評論家たちがかまびすしく騒ぎ立てるほど注意して見てないって。

 でもこののんべんだらりとしたところが何とも言えずいいよねぇ。笠智衆と杉村春子のひょうひょうとした掛け合いなんかもう最高でしょ。熊太郎。。。。ぷっ。あげくに「あたしはクーチャンと呼ぼう」だなんて。
 ところでこの映画の真骨頂は、セリフのないシーンに表れてると思う。まずは、父娘で一緒に鎌倉から東京に出るときの列車。このシーン、ほとんど父娘の会話というのがなくて走る列車が延々と続いて、鉄橋を渡るところまで。。。なんであんなに長いのだ?そのくせ一瞬にして京都に行ってしまってるじゃないですか。東京に来たというのを表現するのにも、東京駅じゃなくて、あれはなんてビルなの? 最初の時と、原節子が一人で東京に行ったときにも映しだされてるよね。こういう建築物をもってくるというのも小津の手口なんだよね。そしてやっぱり家の中。またどこかでどういう間取りになってるんだとか研究してるのがいるんだろうな。この画面に誰も現れない家の中のシーンというのは、小津マジックだとわかっていてもはめられてしまう。
 能のシーンでの原節子の無言のシーンもすごいけれど、やっぱラストの笠智衆ですね。シャリシャリという音だけが耳に残って。

「客が一番見たいと思うものは隠せ。客に説明しようと思うな。どう解釈しようと客の勝手だ。」
 いろんな刺激物をこそぎ落とした、言ってみれば、素材そのものを楽しむ料理、またその料理を盛りつけてある器を楽しむ。そう思うと、それってまさに日本料理じゃないですか。


監督 小津安二郎
脚本 小津安二郎 / 野田高梧
原作 広津和郎
撮影 厚田雄春
美術 浜田辰雄
音楽 伊藤宣二
出演 笠智衆 / 原節子 / 月丘夢路 / 杉村春子 / 青木放屁 / 宇佐美淳 / 三宅邦子
★★★★




2002年05月20日(月)
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