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 ▼ 神代辰巳『赫い髪の女』 (79 日)


 原作は中上健次の『赫髪』 
 この『赫い髪の女』を観なおして、大慌てでようやっと原作を読んだ。どっちがすごいってどっちもすごい。文学と映画を比べることは無意味であっても、「原作を越える映画」とはよく言われる。ではこの神代の『赫い髪の女』が『赫髪』越えていたかと聞かれると、うーんやっぱり中上はすごすぎるというのが正直な印象。どこを比べてそうだというのでなくて、中上はすごい。じゃ、この『赫い髪の女』の女がつまらないのかというと、これもすごい。ボクは日活ロマンポルノでは『恋人たちは濡れた』についで、『赫い髪の女』がいいと思っている。
 じゃあ、『赫い髪の女』と『赫髪』の差は何なんだというと、ずばり「熊野」でしかない。中上は頭の先から足の先まで熊野を体現している。『赫髪』においても熊野がずっしりと重く引きずっている。熊野という風土を抜きにして『赫髪』もないし、中上もない。それに対して神代の『赫い髪の女』は熊野は希薄だ。かすかにけったいな関西弁でしか熊野を感じられない。けったいな関西弁=熊野弁というわけでもないのだけれど。
 ずばり『赫い髪の女』は熊野でなくてもどこでもいい。やっと中上のにおいがしたのは、姉夫婦(山谷初男、絵沢萠子)に会いに行くくだりでしか感じられなかった。しかし目をひるがえしてみれば、『赫い髪の女』は熊野だけでなく、普遍的に描かれているとも考えてもいいのじゃないか。そこのところで、どちらがどうなのだということはできないと思う。ただ、最初に『赫い髪の女』を観たときには、中上を意識しないで観れた。今度は、中上が原作なのだという上で観てしまった。この間に中上を読み漁り、しかも直後に原作を読んでしまった。それだけのこと。
 光造(石橋蓮司)のところに赫い髪の女(宮下順子)がころがりこんでくる。この男がいて女がいる。ただそれだけのことは、自分はそうじゃないと否定しても否定しきれない。そのことの何が悪いのだという理由も何も見つからない。
 「アドバルーンのあがってるあたりにおいしいラーメン屋が思うて」、インスタントラーメンを作って食べる女。丼に残ったラーメンをつまんで食って「まずい」という男。仕事をして帰ってくると飯の支度もせずに寝ているとなじる男。ふとんをひきめくると男のパンツを履いている女。
 確かに、原作の力に負うところは大きい。それでも、しかし宮下順子という女というぬめっと湿った唇(濡れた性器)を持ちながら、妙にさらっとしたキャラクターを押し立てた『赫い髪の女』はまたすごい。

  赫い髪は美しい。

★★★★★  



2001年12月30日(日)
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