『まご版・逃亡者2000』


あとどれくらいかかるの?
■ 00/07/28 Fri ■

仕事の方はきのうの昼までで一区切り終わってしまってきょうもまるごと空き。数年前だったら、そのままきのうの晩にでも出てしまってたりするけど、ちょっと歳くってしまったのか、そんなリキはない。ただぼーっとしたままで日が沈むのを待つ。とにかく暑いんだよ。暑くてパッキングなんかする気が起こらない。やっと日が沈み始める頃になってパッキング開始。晩飯食って9時出発。
1週間ほど前だったか、マッキーとQでしゃべってて、今年のツーリングどこ行くと聞かれて答えられんかった。するとマッキーから「なんか夢ないで(爆) 昔のおっちゃんは輝いてたなぁ〜」返ってきたのだ。しかり、今夏のツーリングばっかりは先が見えない。どこに行こうというあてもなく、ただ誘われるがままに、とりあえずN瀬の八つ小屋へ向かうだけ。いちおうTンとは上諏訪あしたの1時に待ちあわせと決めてるだけ。ふっ楽勝だな、とは思うんだけど。それでもとにかくなんだかんだで走り出してしまったのだ。走り出したら、もう走らなアカンわけ。走ったら走ったでどうにでもなるんじゃないか、そうでもして自分自身を奮いたたせてる。実際、名阪走り抜けて、金無しパターンの、亀山からR23、長島、長良川沿いに羽島へ向かうというように走れるもんなんだ。が、長良川にかかったところから雨が、ちっ、しかも局地的にどっと降ってくる。さすがにたまらなくなって橋の下に逃げ込んでカッパを着た。なんぼ夏でも、夜に雨はうれしくない。羽島のIC入る直前には瞬間的に土砂降りやん。なんか先行き不安な気がして仕方がない。
羽島から中津川まで高速を走って、岐阜長野県境の元起で休憩。
「いまどこ?」「う〜ん、もうちょっとで長野ってとこかな」「あとどれくらいかかるの?」え? そう聞かれても、ボクのバイクにはどこまでってものがないから答えようがないんだよ。「あと2時間ほど走ったところできょうは寝るよ」
坦々とR19を走る。福島を過ぎて、宮ノ越の巴淵の東屋できょうのところは沈没。体が少し濡れていて寒い。


狭路 深い森
■ 00/07/29 Sat ■

適当に目が覚める。日があがるとやっぱり夏。じりじりっと焼けてくるような感じだけする。パッキングをほどくのも面倒だったので、そこそこに出発していつもの奈良井宿へ。
もうすぐ祭りがあるらしく、家の桟などを外して水場で洗っている。そういう光景を見ているとやっとツーリングに出たという気になってくる。大名行列が宿場を歩いて、家々に寄っては振舞いを受けるという。
店に入ってコーヒーを注文しながら、Tンに連絡を入れる。上諏訪、予定通り1時。ふっ、楽勝だな。いま11時だから、さっさと昼飯にざる蕎麦も食ってしまう。
店のおばはんに茅野まで行くって言うと、塩嶺病院を抜けて行ったら速いよなどというので、マップを見ると、贄川から上がって行く道がある。これだなと、贄川の宿に入って行ったが、それらしき道がない。うろうろしてたら畑の行き止まりになってしまった。そこの畑仕事してたおばちゃんに道を尋ねたら、「ジュース飲むかい?」とパックの乳酸飲料をくれた。「この上に前は○○(忘れた)という集落があってね、それを通って子供らが学校に通ってたんだよ。いまはもうそこの人は下に下りてきたでね、誰も住んでないんだけど、オートバイだったら行けるのじゃないかな」という。「あ、それだ、それだ、あ、あの軽4がやっとの道ね」「そうそう、下に下がって橋を渡って行くんだよ」と。ところがだ、橋を渡ったまではいい。すぐにダートになって、しかもかなり草が茂って、下はぶかぶか。100mほど入ったところで、こりゃ完全に廃道化してるのに気づいた。やめとこ、このまま行ったらとんでもない道になるおそれがあるなってここの判断はよかったんだよ。ただターンするにもほとんどバイクの長さ一杯ほどの幅しかない。どっと汗が噴き出てくる。ヘルメットは脱ぎ捨てて、何回も何回も切り返してやっとバイクの向きを変えれた。ふーっ、たまらん。さぁ、行くどーっと、脱ぎ捨てたヘルメットを拾いに行ってる間だ、ずでぇ〜〜〜ん!! ぶかぶかの土にバイクが耐えられなくなってこけた。やってられんのだよ、ほんまにぃ。  (※ツーリングマップ中部P72には「狭路 深い森」と記されている。TM関東には贄川から上がる道の表記すらない。)
やっとのことでR19に戻って、あくまで塩嶺越えと、さっきのおばちゃんに教えてもらったモーテルから左にはいる。このモーテル、以前は「ホテル螢」というバカこいたようなラブホだったんだ。《最北端の中ア越え》という牛首峠もなんてことはなくてさっさとR153小野に出てしまう。すぐに勝弦峠越えに入って、この道はむちゃくちゃ気持ちよかった。あ、あ、あ、という間にR20に出てしまった。
と、その三差路でだ、一旦停止して、行けるかなと思ったとき塩尻峠の方からR20をクルマが下ってきた。アカン、やめとこ、と踏みとどまった瞬間、股の下でバイクが倒れていた。なんでやねん? ぐはぁなんでたて続けにこけるんよなぁ、もぉー。ヘルメットとグローブを脱ぎ捨て、倒れたバイクからパッキングを外しにかかる。そうしないと荷物積んだままではバイク起き上がらんのよ('_;)
Tンに連絡、時すでに約束の1時を回っている。楽勝だったはずがとんでもない。
上諏訪でTンと落ち合ったのはもう2時をゆうに回っていた。2度の転倒で思いきり汗臭い。「(遅れてるから)どうする?」というTンのことなどおかまいなしに、「風呂入ろ、風呂」と、あくまでも予定通り、上諏訪駅の駅温泉にとびこんだ。Sキさん、茅野で待ってたんだねぇ。知るかぁ、温泉にでも飛びこまなやってられんって。


注:右に写ってるのはボクではありません。念のため

熱い湯だった。やっぱりなんじゃかんじゃで温泉につかってやっと落ち着いた。ふっと手首を見たら、春からずっとつけてた腕輪でもないか、あれなんちゅうんだ? 要するに手首に三重にしてまいてたんがないのに気がついた。あのときだ。R20の三差路で立ちごけやらかしたときに、あわててグローブをはずして、そのときグローブのベルクロにくっついてすっと抜けて行ったの覚えてる。そのときはあわててたから、あとでグローブはめるときに戻せばいいやって思ってたのが記憶にある。ちっ、ほんま踏んだり蹴ったりだ。
どれくらいSキさんを茅野で待たせてたんだろ。TンがSキさんを駅まで拾いに行ってアップルランドで買い足し。ちこっと迷いながらもN瀬の八つ小屋になんとか到着。ふーっ、疲れたぁ。
夜は庭でBBQ、久しぶりにちこっと飲んでは、ベランダでぐぅぐぅ寝て、起こされてはまたちこっと飲んで、Tンはよっぽどこないだの3次会がむかついたのか、「毒抜き、毒抜き」とひとり喚いている。結局、寝たのは3時ころ。
明け方、i-modeメールの着信音が何度も響き渡ってた。 


放蕩息子
■ 00/07/30 Sun ■

目が覚めたのが9時半。みんな起きてる。なんでこんなに早いんだよ。きのう夜中まであーじゃこーじゃやってたくせに。とにかく朝めし。朝めし食い終わってもこれと言ってすることもなくて、ただみんなそれぞれぼーっと過ごしているだけ。それはそれでいいんだけど。ボクはボクでテラスに寝転がって、これからのルートの確認、といっても相変わらず、どこに走って行くのかは決まってるようで決まってない。
「行くところ決まった?」というので、面倒くさいから、「きょうは昇仙峡あたりかな」と答えておく。本当のところは、きょうのことは、大阪出るときから決めてたんだけれど。昼飯に素麺を食って、やっと出発となったのは4時近くだったか。あ、そうそう荷物積み込んでるときに腰をぐきっとやっちゃったんだよね、痛てててて。
諏訪南までN瀬のクルマについて走る。諏訪南ICの直前でテクノ街道という表示を見つけて、後ろからピッとクラクションを鳴らして別れた。八ケ岳の東山麓をでやぁ〜っと走る。いまいち地名がインプットされてなくて、30分ほど走って、信濃境でR20に追いだされてしまった。あんまり2ケタ国道は走りたくないんだよなぁと思いつつも、以前に走ったとき、県道が市街地ばかり通ってさっぱり走れなかった印象が残ってるので適当に入って行く気にもならない。韮崎を過ぎて甲府が近づくにつれてR20はうざくてたまらなくなる。そこは我慢の子で甲府を走り抜けて、やっと御坂道で河口湖に向かう。
御坂のトンネルをくぐり抜けて、やっぱり真ん前を走りながら、知らんぷりで走り抜けてしまうのもなぁと、ほうとう食いに寄ってみた。
ほぼ2年ぶりかぁ。「痩せたやろぉ」「まごさん、前のほうがよかった」「むぅ(-_-)」
2時間近くしゃべってたかなぁ、いろいろと。
で、ここから忽然とボクは消息不明になってしまうのであった。。。


白鳥
■ 00/08/05 Sat ■

まるでタイムスリップでもしたように何日か前と同じ場所にひとりでいた。暑い。木陰にすわりこんでハイライトを吸い込む。この場所をあとにしたら、たぶんしばらくは戻っていくことがないだろうなと思いながらヘルメットをかぶろうとしたとき携帯が鳴った。
空には夏の雲がモクモクと湧いている。


思いきってバイクを走らせる。ずんずん走っては、夏休み中土曜の渋滞にかかって、それもすりぬけて走る。どんどん離れていく。まるで何かを吹っ切ろうとするかのように、どんどん走って、廃校の跡をきょうのねぐらにさっさと決めてしまった。
たき火の用意とそこらの枯れ木を集めて来たら、近くまできていた夕立。ちっ。テントの中にもぐりこんでごろっと横になる。30分ほどで夕立は上がったか。ごそごそとテントから這いだして、たき火、たき火。と、さっきの夕立でなかなか火がつかない。やっと火がついたと思ったら、またぽっつらぽっつら雨が。ちょっとくらいの雨になんかめげてられんじゃないってぇの。でも意外と早く燃え尽きてしまったな。
テントに戻ってお決まりのろうそくの灯で龍の「白鳥」を少し読む。
雨もすっかり上がったようで、テントの中ではほとんどなんの音も聞こえない。夜中に外に出ると星がいっぱい。はじめて気がついたんだけど、乱視の眼鏡だして、それかけて見たらさらにいっぱい。頭の真上に白鳥座が大きくかかって、そして天の川。



ノー・ブランド
■ 00/08/06 Sun ■

いつものよう朝はぐずぐず。8時過ぎになってやっと谷間に日があたるようになった。そうなるとやっぱり夏。じりじりと照りつけてくる太陽がもったいなくて、上半身ハダカ、いやパンツ一丁になって、コーヒーで朝パン。
パッキング終わって走り出したのは10時ちょっと前。10分も走ったら奈良田温泉着。前に来たときは秘湯を守る会の旅館の風呂につかったので、今回は村営の風呂。400円。
村営といっても村の共同浴場というわけでもなく、しかもこの時間、朝早くに山小屋を出発した登山者がちょうど下山してくるのにぶちあたったようで、風呂の中は中高年登山者のおっさんで芋の子を洗うような始末。浴槽自体はけっこう広いのだが、出してる湯も少なくて、そこへ入ってる人間の頭数が多すぎるもんだから、湯はとても汚かった。決して褒められたもんじゃない。登山者の一団が出ていったあとようやく落ち着いて浸かってることができたけど。
奈良田からさらに南アルプス街道と名付けられた道を10分ほど北上すると、ダートが始まった。最初断続的に舗装路になったりして、これだったらオンロードでも楽勝だな、と思っていたら、進むにつれて荒れだしてきた。クルマもたまに通るし、道幅もけっこう拾いのでとびきり荒れてるよいう印象はないけれど、ちょうど北岳の釣尾根の末端になるんだろう、その尾根をくりぬいたトンネル、2つ連続してたんだけれど、その路面もぼこぼこで水たまりだらけ。真っ暗なトンネルの中でそうしたとこを走り抜けるのはちょっと辛い。


ダート10kあまりで広河原。ここから先、北沢峠へは車の乗り入れ禁止。ちょっと休憩して芦安に向けて走る。さっきのダートがはるか下の谷に見える。北岳も駒ヶ岳も上は曇って見えない。夜叉神のトンネルを抜けると30数年前に春先にそこまでやってきたのを思いだして懐かしくなった。あのときは春の嵐だったな。
そこからずんずん下って甲府盆地に下りてくるとアホほど暑い。道なりに走った県道は気持ちよかったけれど、R20に出たらもうたまらん。思わず、武川のコンビニ昼食。しかしほんま暑いんだよなぁ。道路が焼けてるというのがわかる。
マップをきっちり調べて、武川からは七ツ岩街道、さらに富士見から八ケ岳の鉢巻道路で原村までカラ松の中を走り抜ける。原村のペンション村のところから、そのまま直進したらすぐにダートになって、八つ山麓の畑の中をぶっちぎる道に。そのまま走ってたら、N瀬の別荘の入り口のところに出てしまったのにはちょっとびっくりしたな。予想はしてたけど。

茅野に下りて、さらに上諏訪。ここで行くときに見つけていた路上観察物件を採集した。空はいまにも夕立が降り出しそうに真っ黒になってる。どうせ急いで前に進んでもこの分ならどこかで夕立に出合ってしまうのは見え見えだったので、ちょっと散歩、ったってそんなうろちょろ歩いたわけではないけど、上諏訪八坂神社だったか、そこで白の裃をつけた人が集まっている。不思議といえば不思議な光景。聞くと、氏子の役員が集まって、何とか祭をやってたんだとか。
なんとかまだ雨にあうこともなく下諏訪。ここもちょっとうろちょろと思った瞬間に、どっと夕立がやってきた。道路脇にバイクを停めて、管野温泉の入り口で雨宿りをしていると、お風呂上りのおばちゃんが出てきて、「雨宿りしてる間に温泉入って行ったら? 200円だよ」って言ってくれる。そうなんだよなぁと思いながら、管野温泉はこの前に入ったことだし、下諏訪の何ヶ所かあるほかの温泉銭湯にも入りたいんだよなぁと思ってたら、雨が小降りになった。えいや、と、そこから数100mほどの矢木温泉へ。
矢木温泉も管野温泉と同じようにほとんど地元の人しか来ないような温泉の銭湯。ちょっと熱めの湯に、くぅーっと耐えて入ってると、太腿に般若の入れ墨を入れたじいちゃんが話しかけてきた。
「バイクか? わしはV-MAX乗っとってのぉ」
けっこう小柄なじいちゃんがなんとV-MAXってのにはちょっとびっくりした。年は70だってさ。そのじいちゃん、よくしゃべる、よくしゃべる。ときどきもぐもぐと一人でしゃべってたりするもんだから、部分的に何、言ってるのか、よくわからんときがある。前は四日市におったんだとか、こっちは水はいいし、空気はいいし、温泉があっていいんだけど、金が安いんだとか。給料が安かっても、もうおっちゃん70なんだから、こっちのほうがのんびりできていいだろう。ボクだったら、四日市なんかより、ここえあでボケてるほうがいい。
風呂に入ってる間に雨はきっちり上がってしまってた。岡谷でガスを入れて、塩尻峠への上りにさしかかる。ここでひとつ賭けてたもんがあったんだ。それは行きのときに塩嶺の三差路でなくした腕輪、というかヒモをさがすこと。あの立ちごけをやらかした場所にバイクを停めて、ヘルメットとグローブを投げだしたと思われるあたりを捜し始めた。まる1週間だもんなぁ、無くなってしまっていても不思議じゃない。しかし人がどうこうする場所じゃないだけに、まだそこに残されてる可能性も十分あるわけだ。実はきのうからそのいくらかの可能性に賭けてみようという気になってた。ヘルメットの重さで雑草がすこし窪んだようになっているところがある。たしかにそこらあたりにヘルメットを投げ出したような気がして、生い茂った雑草をかきわけて、その根元あたりに落ちてるんじゃないかと見てみた。でも、ない。茶色の小さな石のようなビーズをつないだヒモ状のものだったから、あったぁーと思ったら、草の枯れたのだったりもする。やっぱり無くなってしまってるかな、このごろ毎日夕立が降っていたようだし、雨で流されたってこともありうるなぁ、と草むらじゃなしに足許のアスファルトにたまった枯れ葉のあたりも捜してみた。でもない。仕方ないよ、と思い始めたとき、いままで雑草を横にかきわけていたのを、ふっと縦にしごくようにしたときだった。30cmほどに突っ立った枯れ草にひっかかるように垂れ下がっているそのブツを見つけた。
別にティファニーとかのように何万もするような高価なものではなかったし、たったの700円だよ。たぶんあの店に行けば同じようなものがまた手に入るはず。でもこの数ヶ月の間、ずっとボクの左手首にからみついてた。ボクにとってだけ大事なもの。それがこうして1週間の時間を経て、またボクの左手首に戻ってきた。こうしてもう一度戻ってくると、さらにさらに大事なものになった気がして仕方がない。
雨上がりの塩尻峠を下っていく。遠くにはっきりと穂高の山並みが見える。乗鞍も御岳も。塩尻まで下がってしまうと、そこからはいつものサラダ街道。何度、走っても好きな道をだぁーっと白馬めざして走った。
大町の高瀬川を渡るときちょうど爺から鹿島槍が夕焼けに染まった。ノー・ブランドな風景...



0120-600-819
■ 00/08/07 Mon ■

きのうの晩はたらふくおいちぃーごはん食って、さっさと寝たら太るから、遅くまでi-modeで遊んでた。のに、朝早くに目が覚めると、お山がくっきりと。やっぱり夏山は朝の早いうちに限るんだね。と、またそのまま二度寝してしまったんだけど。
ヤモがきょう来るっていうんで、連泊したろかと思ったんだけど、あいにくなことに満室。なんかきのうの泊りもいまいちくぼた荘にそぐわないような上品な初老の夫婦連れがおったりして。そうなんだよなぁ、そういあエアコンなんてのがついてしまってる。「うちの部屋のエアコンの調子がおかしいので、ちょっと見ていただけません? 窓、開けたほうがすすしかったりするんですよ」なんて言うおばはんのおかげでボクはきょう泊れないのだ(-_-) あのなぁ、窓開けたほうが涼しいんだったら、窓開けとけや、をら。
まぁー、そういうのもお客さんだから、ボクが追い返すわけにもいかないしねぇ、ちょっと複雑。。好き勝手にやってるところなだけに。
朝飯はけっきょくやっぱりラストだった。コーヒーも入れてもらった、いつものくぼた荘ペースでうだうだと。それでもいちおう荷物だけはまとめて下に置いといてもらって空荷で出発したのは10時過ぎ。
だぁーっと北向いて走って、まずは小谷温泉。話に聞いてた山田旅館はなかなかの風情だなと横目に見て、雨飾山荘上の露天風呂に。先客一人だけ。静かな木陰で思いきり心地よい。きのうの奈良田とは大違いだな。先客ひとりと入替りにファミリーのオヤジと小学生の息子が入ってきた。向こうの女湯のほうから「熱くて入れないよぉー」と娘の声がする。ファミリーがおるからお邪魔ってわけでもなかったんだけど。
ところでここは入浴料、気持ちだけ、というやつ。ボクは200円入れたけどね、そのファミリーは入れなかった(-_-)

ヘルメットはかぶらずに腕に通して鎌池まで走る。温泉でほてった体に空気がむちゃくちゃ気持ちいい。
鎌池の駐車場には車が2台だけ。ここも静か。バイクを停めて、ぷらぷらと歩き出す。じきに鎌池のほとりに出た。さらに池を周回する散策路があるようなのでゆっくり歩く。たぶんほとんど原生林なんだろうな、ゆっくりゆっくり歩いていた。池のほとりにすわってタバコを一服。みずもには夏の雲が映えて、それをアメンボがすいすい動いて乱す。ブナの緑が夏の陽に輝いてまぶしい。さ、大阪へ帰ろう。


雨飾林道を下っていく。けっこうガレてるところもあるんだよなぁ、それでもうちの猫どもへのおみやげのまたたびも大量にゲット。どんどん下っていくにつれて、雨飾が大きくなっていく、ただし頂上のほうは雲に覆われて見えなかったんだけど。平岩まで下ってくるとぽつぽつと雨が、えいやぁーどうにでもなれやと、旧のR148を横切って、蓮華温泉を目指して走ると、眼前に真っ黒な雲のかたまりが見える。やばいなぁと思ってる間に、だぁーっと降り始めた。くぅーたまらんなぁ、と思いながら、意地っぱりだねぇ、さらに走ってると、パンツに水がしみてきた。こら、どうしようもないなぁと、道端の民家のガレージのような屋根の下を見つけて逃げ込んだ。トタン屋根を激しく雨が叩いてる。

そこまで。蓮華温泉はまたゆっくり入りに来れるときもあるだろ。そう決めたら、あとは雨から逃げるように南を向いてひたすら走るだけ。いったん、くぼた荘に戻って、荷物を積み込んで、姫川の流域を過ぎたら、雨が上がるだろう、大町まで走ったら上がるだろう、と、ひたすら走るだけ。結局中央分水嶺を越えるまで雨は降り続いた。袖やら、首筋からしみて濡れた服が冷たい。
中津川から高速に。そこまで来ると、風はもう生ぬるい。一目散に走った。ところが..
京都東過ぎて、京都南への登坂にさしかかったころ、なぜか振動がはげしい。ありゃ? 疲れてきたか、それにしてもパワーが出やんなぁ、なんでやねん、登坂でも80ちょいが精いっぱい。ふつーなら登坂車線に入って抜きにかかってんのに、前のトラックと同じペース。むぅ(-_-)
やっと登坂終わって、それでも小さな振動が激しい。看板の字がぶれて見える。くぅー
乱視もこの調子ならもっとひどくなるわいなぁとか、しかし、待てよ、ひょっとしてパンクしとんのとちゃうか、と思いながら、3車線の真ん中をそのままで京都南通過したとたんに、横揺れが始まった、くわぁ〜、こりゃパンクしとんのやんけと あわてて路側によせて停まった。
タイヤが熱い。すでに空気はほとんどない。がぁ〜〜ん(´ヘ`;)
100mほど前に緊急電話がある。そこまでころがしてあわてて電話。ちっ、なんちゅうこっちゃ、同じ停まるのなら、京都南の手前で停まれよなぁ。あの緊急電話って故障だというとJAFにつなぎよるんよねぇ。つぎの茨木ICまで出すだけだという、しかも4〜5万こもかかるって、ぐひぃーーー
あまりの高さにしぶってると、バイクレスキュー(関西は0120-600-819)ってのがあるって教えてくれた。基本が6000円で、キロあたり300円で家まで運んでやるという。仕方ねぇ。こんな場所でパンク修理なんてのもできるわけないし、だいいち、ボク、できねぇ〜〜の。工具ももっとらんし。というわけで、運んでもらった。ひやぁ〜タク代と思えば安いけどねぇ。あ、それとおまけに中津川からの高速代、払ってねぇよ。青森からでも払わないで出られるぜい(負け惜しみ)
結局26000円、パンクしてしまった後輪のタイヤはおしゃかで、総額45000円ほど。踏んだり蹴ったりだなぁ。でもポリにやられて赤切られたら憎悪感だけ残るし、事故って怪我すること思ったら、話のネタができたかって。あんまり人間悪いように悪いように考えたってどうにかなるもんちゃうよな。ごちゃごちゃ考えるより先に、とにかく走ってみないと。。。


あとがき
 

 出発の数日前、ICQでマッキーとしゃべってたら、「おっちゃん、最近輝いてないなぁ」と送ってきよった。数年前はもっとバリバリ走ってたのにって言う。確かに言えてる。走り出してみるまで自分でも走るぞという気合いというものがなかった。
 案の定、ちょっとした、いや、それどころじゃないな、えらいハプニングが起こった。まぁ、それも自分が蒔いた種なわけだけど。というわけで、中抜きになってしまった(-.-;) そのことについては、ボクがずっと心に留めておけばいいわけで、第三者におもしろおかしく語れるものではない。
 もちろんその空白の何日間にもバイクで走り回っていた。たとえば、日が暮れて寝る場所を求めてさまよっているときに、とある有料道路の出口の料金所で金を払おうとすると、おっさんが「前の車が払ってくれた」という。パジェロだったか、まさか女と間違ったのか(笑) またたぶんシートベルトの取り締まりをやってたんだけれど、その警察の前に何人もポリが立っていて、まるで指名手配されてるかのようにひどくびくついてる自分に気づいて苦笑いしてた。別に御用になるようなことなどなんもしてないのに。あの夜に、いくつも流れ星が流れ、頭の真上に白鳥座が輝いてたことはきっと一生忘れないだろう。
 確かに言えることは、はからずも最後に記したように、ごちゃごちゃ考えるより先に、とにかく走ってみないと。。。なんだと思う。


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